2003年11月20日(木曜日)朝霧曇り時々晴れ夜10時より雨 最高13.9℃ 最低1.5℃
今日の“サロン・カンタンド”は、今年の4月に続いて月岡さんによるイスラエルのお話でした。“サロン・カンタンド”のことや4月の話の内容は、4月17日の“ダイアリー”をご覧いただきたいと思います。
それでは、今日のお話の中から印象に残ったものをご紹介します。なお、一部4月17日の内容と重複します。
思ったことをストレートに言います。贈られたものでも、気に入らなかったたり、不要なものは、送り主の返します。
デパートやスーパーでは、客が陳列されている商品の箱を開けて勝手に試食用にしてしまいます。食べられたい放題です。
夏、歩いての外出は自殺行為です。身体からどんどん水分が放出されるからです。車が絶対に必要なのです。
車検はあります。しかし、袖の下・・・(2〜3000円)によりパスになってしまいます。
車の値段は日本の2倍以上します。中古車でも100万円以上します。そのため、ガラス窓のない車が走っていることもあります。
銃を持っていることで銃犯罪の被害を最小限に食い止めることができます。銃を使った犯罪が発生した時、銃で対抗できる人間がいれば、被害者を少なくすることができるのです。
日本では地震が発生しますと、その地域への電話は遠慮願います、とのコメントが発表されます。日本人はそれを守るでしょう。しかし、イスラエルの人は「逆に空いただろう」と考え、結局はその地域への電話が集中し、パンクするのです。
エルサレムは待ち時間なしで観光できます。あとは、危険を気にするかしないかです。
事件がありますと、通りがかりの人もいっしょになって救急処置にあたります。みんな救急処置の仕方を知っています。
マナーは悪いです。飛行機の中、夜みんなが寝静まっている時、映画を観ながら大声を出します。躾がなっていないからです。
月岡さんも初めは銃を持っていることに恐さを感じましたが、多くの人が銃を持っていますので、だんだん気にならなくなったそうです。日本は銃を保持しなくても生活できます。幸せなことです。しかし、その日本も次第に治安が悪くなりつつあります。
少々時間が経ってしまいましたが、音楽関係の出来事をお伝えします。訃報です。ライチャス・ブラザーズ(The Righteous Brothers)のボビー・ハットフィールドが去る11月5日亡くなりました。63歳でした。
ライチャス・ブラザーズは、ビル・メドレーとボビー・ハットフィールドの白人男性ボーカルデュオです。ビルが低い方を、ボビーが高い方を歌いましたが、その歌い方はまさに“ソウル”でした。その歌を聴いた黒人たちは「お前たちはブラザーだ」と言ったのです。まだ人種差別の激しい1960年代前半のことです。そこで、本当の兄弟ではないにもかかわらず、ライチャス・ブラザーズと名乗ったのです。
1964年になりますと、フィル・スペクターをプロデューサーとして迎え、彼らの代表曲「You've Lost That Lovin' Feelin'(ふられた気持ち)」や「Unchained Melody(アンチェインド・メロディー)」を発表します。特に「アンチェインド・メロディー」は、その美しいメロディーとボビー・ハットフィールドの心のこもったボーカルで何度もリバイバル・ヒットしています。
私の前にラジオが存在するようになって間もなく、洋楽との付き合いも始まりました。1966年のことです。その当時聴いた番組は、NHKFM(当時は実験放送の時代でした)の土曜日夕方に放送された各県毎のローカル・リクエスト番組でした。現在ラジオ第一放送で土・日曜日の朝の番組を担当されている伊丹アナウンサー(当時は山形局勤務)がDJを担当していました。その番組で「アンチェインド・メロディー」が何度もかかったことを覚えています。本当に良い曲です。
ライチャス・ブラザーズは現在もライブ活動を行っていました。しかし、ボビーの“ソウル”を生で聴くことができなくなったのです。
“ブルー・アイド・ソウル”という言葉は、ライチャス・ブラザーズから出た言葉とされています。合掌。
◆アメリカ・カリフォルニア州サンタバーバラ郡の司法当局は19日、マイケル・ジャクソン(45歳)の逮捕状を取ったと発表しました。容疑は「児童への複数回の性的虐待」です。マイケル・ジャクソンは、20日にも出頭する見通しです。
2003年11月19日(水曜日)晴れ 最高17.8℃ 最低3.4℃
飯豊町と小国町に出掛けました。置賜地方は、米沢市・南陽市・高畠町・川西町の東置賜と長井市・白鷹町・飯豊町・小国町の西置賜に分かれます。米沢市に住んでいる私は、なかなか西置賜地域に行く機会は少なく、特に新潟県境に位置する小国町へは久しぶりに出掛けました。何年ぶりでしょうか。10月28日の“ダイアリー”で書いたことも気になっていましたので、いつかは小国町に行きたいと考えていたところでした。
まず、飯豊町白川ダム湖畔に行きました。白川ダム湖畔には、宿泊施設、公園、キャンプ場などの施設があります。私が行った時には、公園でゲートボールをなされているグループを見掛けました。
米沢から白川ダム湖畔に行くには、国道113号線から入るのですが、これでは遠回りになりますので、国道112号線から川西町玉庭地区を通って行きます。その間、2つの峠を越えることになります。特に、玉庭地区と白川ダム湖畔間の峠道は道幅が狭く曲がりくねっており、私にはきつい運転になりました。しかし、峠近くでは、遠く“吾妻連峰”“栗子山系”“蔵王連峰”まで望めました。なお、峠付近では新潟のFM局も聴こえました。また、FM山形米沢中継局の電波も入感しました。
白川ダム湖畔から小国町へは国道113号線には出ず、さらに山道を進むことにしました。飯豊町中津川地区を通り、再び山道です。道幅がところどころ狭くなりましたが、峠付近では意外に道路は整備されていました。飯豊町と小国町との境が峠です。峠からはさらに遠くなった“吾妻連峰”“栗子山系”を望むことができました。FM山形米沢中継局の電波も入感できました。出力が10Wから100Wへ増力になったため、入感できたのです。
小国町に入って約30分、ようやく市街地に到着しました。本当に「ようやく」という感じです。それでも道路は整備させていましたので、思っていたよりは早く着きました。
これまで小国町は国道113号線沿いを通過したことは何度もありますが、市街地をまわってみたのは初めてです。ちょうど、小学生の下校の時間帯であったこともあり、人通りはありました。中心部には大型ショッピング店がありました。中に入ってみましたが、平日とはいえ、あまりお客さんが入っていないように見えました。町内人口に対する店舗規模が適切か、という問題もありそうです。もう少し小さくでも良いように感じました。(これはあくまで私の主観です)
国道113号線沿いには、前回小国町に来た時にはなかったコンビニが2店舗(SとF)ありました。コンビニの駐車場に車を停め、飲み物を仕入れた後、ラジオの受信状態を確認することにしました。その結果をご紹介しますが、今回はSINPOコードの内、総合評価のみとします。では、まずAM(中波)放送から。
NHK山形 3 4 540KHz
NHK新潟 3 4 837KHz
YBC山形放送 5 5 918KHz
NHK米沢 2 2 1026KHz
BSN新潟放送 4 4 1116KHz
NHKはラジオ第一放送のことです。数字の左は携帯型のラジオ、右はカーラジオによるものです。NHKでは、山形市からの電波が思っていた以上によく入感しました。また、米沢の電波も弱いながら入感できました。ただ、夜になれば混信で1(聴取不能)になるでしょう。ちなみに、私が受信確認したのは、午後4時です。BSNは、NHK新潟より強く入感しました。YBCは小国町に中継局があります。
次はFM放送です。こちらは、携帯型のラジオのみでの受信です。
FM新潟 1 77.5MHz
FM山形米沢 1 77.3MHz
NHK小国 5 89.8MHz
実はFM新潟は受信できると期待したのですが、ダメでした。これが、感度の良いカーラジオなら受信できたかも知れません。なぜなら、国道113号線で米沢に戻る時も場所により受信できたからです。小国町の市街地は山陰になって電波が弱くなるのです。これは、FM山形米沢中継局も同じでした。小国町の市街地では、民放FMを気軽に聴く、というわけにはいかないことが分かりました。
なお、FM Port(79.0MHz・新潟)は、今日の移動した範囲では受信できませんでした。
マイケル・ジャクソンの自宅が家宅捜索を受けている、というニュースが報じられました。これについては、日本時間の明日、当局から発表がある、とのことです。
1969年にデビューした“ジャクソン5”は、1970年、デビュー曲の「I Want You Back」から「ABC」「The Love You Save」「I'll Be There」と4曲連続“Billboard HOT100”の第1位に送り込み、全米チャートを席巻しました。マイケル・ジャクソン12歳の時です。それは、当時の私にとっても衝撃でした。
1972年、「Ben」(ベンのテーマ)がソロとして初めて第1位になりました。ラジオ関東(現:RFラジオ日本、本社:横浜市)で、湯川れい子さん(米沢市生まれ)がDJを務めた「全米トップ40」(“Billboard HOT100”の上位40曲を紹介する番組、“American TOP 40”に日本語解説を付けたものです)の1回目の放送(1972年10月)で1位になっていたのが「Ben」でした。変声期前のマイケル・ジャクソンの歌声を聴くことができます。
ちなみに横浜からの電波は時々聴きにくくなり、苦労したことを覚えています。この番組については、またいずれ書きたいと思っています。
マイケル・ジャクソンと言えば、モンスター・アルバムと言われる「Thiriller」(スリラー、1982年)を真っ先に思い出されるでしょう。しかし、私は「Off The Wall」(オフ・ザ・ウォール、1979年)の方が好きです。クインシー・ジョーンズと初めて組んだこのアルバムは彼の最高傑作アルバムだと私は思っています。このアルバムによって「スリラー」が生まれたと言ってもいいでしょう。
「スリラー」によって彼はポップス界を代表するアーティストになりました。その後、彼の肌は徐々に白くなっていきました。そして、いろんな噂が飛び交うようになりました。
真相は私には分かりません。しかし、彼の作品と衝撃は間違いなく音楽界の歴史に刻まれました。
2003年11月18日(火曜日)晴れ 最高13.9℃ 最低3.3℃
昨日は、米沢・置賜地方にも“木枯らし”が吹きました。今朝になって“木枯らし”もおさまり、穏やかに晴れわたりましたが、周りの山々に雪が積もっているのを見ることができました。いよいよ、冬が間近に迫っています。それでも、まだ斜平山(なでらやま)には積もっていませんので、平野部に降るのはもう少し先でしょうか。
今年の“まちの広場”のイベントも終了しましたが、今日、係の人がステージなどの清掃作業を行いました。この1年の汚れを拭き取り、冬に備えようというものです。作業の合間には“おきたまNPOプラザ”にも立ち寄っていただきました。今日は天気にも恵まれ、作業は順調に進んだようです。
そして、今夜から“まちの広場”の街路樹に付けられたイルミネーションも点灯されました。冬そして年末に向かって、時間はどんどん進んでいくのです。なお、“まちの広場”のイルミネーションは来年2月まで点灯されます。
一昨日書きました“初代 iMac君”、業者に見てもらうことにしました。そこで、山形市の業者に持ち込みました。やっぱり愛着には勝てませんでした。修理費用見積もり結果で最終的に判断しますが、何とか生き返ってほしいと願っています。
2003年11月17日(月曜日)曇り時々雨のち曇り 最高9.6℃ 最低3.8℃
“ひとりごとダイアリー”は今日、満2歳の誕生日を迎えました。この間、私が勝手気ままに、言いたい放題書いているにも関わらず、ご愛読いただいた皆さんに感謝したいと思います。ありがとうございました。
書いている本人もこんなに続くとは考えてもいませんでした。ビックリです。しかし、本人は継続することが大切だ、とも考えています。というわけで、これからも引き続きご愛読くださいますようお願い申し上げます。
今日は“ダイアリー2歳のアニバーサリー”に相応しく?ビートルズの話題を書かせていただきます。
先週11月14日、ザ・ビートルズ(THE BEATLES)の「レット・イット・ビー・・・ネイキッド」(LET IT BE・・・NAKED)というアルバムが発売されました。
もともとアルバムとしての「レット・イット・ビー」は、1970年5月に発売されました。ポール・マッカートニーが、ビートルズ脱退を表明したのがこの年の4月でした。「レット・イット・ビー」は、ビートルズ最後のアルバムとして発売されたのでした。
シングル「レット・イット・ビー」は同じ4月、Billboard(アメリカの音楽業界紙)HOT100で第1位になっていました。その美しいメロディーとポール脱退表明・ビートルズ解散というニュースにより「レット・イット・ビー」は大ヒットしました。
洋楽で「心に残っている曲は」とか「後生に残したい名曲は」といったアンケートをとりますと、「イマジン」とともに「レット・イット・ビー」は必ず上位にランクされます。不朽の名曲と言って良いでしょう。
アルバム「レット・イット・ビー」は、1969年1月にアルバムと映画制作のためのセッションとしてレコーディングされました。アップル(ビートルズのレコード会社)屋上で4人がセッションを行ったのは1月30日です。
この頃にはメンバー4人がバラバラになっていたビートルズ。映画制作のため、ということで、4人はこのレコーディングにあまり力が入らなかった、という説もあります。逆に、映画では、リラックスした4人を観ることができる、とも言えます。
ビートルズのアルバムと言えば、メンバーの意のままに発売されると思うでしょうが、アルバム「レット・イット・ビー」はメンバーの意に反し、フィル・スペクターのプロデュースにより、ストリングスなどが加わって発売されました。しかし、結果はこのアレンジがますます大衆の哀愁を誘い、大ヒットしたのです。
今回発売された「レット・イット・ビー・・・ネイキッド」は、ストリングスなどを削除し、もともとの音で聴くことができるアルバムとして発売されました。30年以上経ってからです。ビートルズでも、こんなことがあるのです。
このレコーディングにあまり力が入らなかった4人、いくらバラバラでもビートルズのメンバーとして不満が残りました。そこで、彼らは新しいアルバムを作ろうと曲作りを始め、同じ年(1969年)春から夏にかけてレコーディングを行いました。これが不朽の名アルバム「アビー・ロード」(ABBEY ROAD)です。「カム・トゥゲザー」「サムシング」などが入っているアルバムですが、そのハイ・クオリティは、当時4人がバラバラとはとても思えない出来になっていました。見事なアルバムです。
「アビー・ロード」はこの年の9月に発売になりました。私は「オール・ナイト・ニッポン」で午前4時台に全曲放送されたのを、眠い目をこすりながら聴いたことを覚えています。
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND・1967年)とともに最高傑作・不朽の名アルバムとされる「アビー・ロード」、4人があまり力を入れなかったものの大衆人気となった「レット・イット・ビー」、ビートルズ最後のレコーディングとなった「アビー・ロード」、レコーディングから発売まで1年半が過ぎビートルズとしては最後に発売された「レット・イット・ビー」、ビートルズにもこのようなギャップがあるのです。
2003年11月16日(日曜日)雨・小雨 最高19.6℃ 最低6.2℃
アップル・コンピューターは1998年8月29日“iMac”(アイマック)というパーソナルコンピューター(パソコン)を発売しました。その斬新なデザインが一躍(特に女性を中心に)人気を呼び、パソコン界に革命を起こした、という人もいるほどになりました。また、半透明のデザインが流行するきっかけにもなりました。“初代 iMac”は、ボンタイブルー1色でしたが、1999年1月には、ストロベリー、ライム、ブルーベリー、タンジェリン、グレープの5色になり、そのカラフルなデザインは Macファンの間でますます人気を呼びました。“iMac”はその後もデザイン変更がなされ、現在は半円球のボディの上に液晶ディスプレイが搭載されています。
我が家にはどういうわけか“初代 iMac”がありました。今回、これを“おきたまNPOプラザ”に置こうと考え、貸し出すことにしました。
数日前“おきたまNPOプラザ”に持ち込んだ時には、“初代 iMac君”は正常に起動しました。今日は、インターネットに接続するためのセッティングを行うべく、妻といっしょに“おきたまNPOプラザ”へ出向きました。電源スイッチを入れました。何の反応もありませんでした。「まさか!」 どこか接触でも悪いのではないかと思い、いろいろやってみたのですが、“初代 iMac君”はまったく反応しませんでした。
妻が Mac を扱う業者に電話したところ「突然、電源が入らなくなることがあります」とのことでした。そして、「修理は可能ですが、調べる必要があります。調べて見積もりを出します。ただ症状によっては新品を購入した方が良いです」とも言っていました。調べるだけでも費用がかかるそうです。
「“iMac”が死んじゃった」妻は肩を落としました。私には慰める言葉もありませんでした。
しかし、今回のトラブルは不可抗力です。パソコンにはこのようなトラブルが付きものかもしれません。突然やってくるパソコン・トラブル、目に見えないだけに私には理解できません。
昨夜も、今私が使っているパソコンで、インターネット接続が少々不安定になりました。私には対処方法が分かりません。イラ立つ中、妻がバージョンアップしたOSをインストールしました。その結果、快適になりました。
でも、やはりこのようなパソコンに、私はのめり込めません。なぜなら、放送は「トラブルは不可抗力です」では済まされないのです。放送では、トラブルは極力未然に防止し、トラブルが発生しても直ちに対応できる体制を整えていなければならないのです。
さて、“初代 iMac君”はどうしたら良いのでしょうか。高い経費をかけて修理するより、処分した方が良いのかもしれません。でも、何となく愛着があります。こんなことで悩むのは邪道かもしれませんが、それが人間というものです。