森本じゅんの音楽枕草子89

 音楽は 私にとって命である。音楽なくして 生活はない。
音楽がないからと言って 生活できないわけではない。
死ぬ事もない。でも 潤いがない。
故黛敏郎氏の追悼文にこのような記事があった。

 ・・・番組創設時に黛さんが作ったモットーを記して 黛さんのごめい福を祈るとともに、
これからの制作の礎にしたいと思う。
「あなたは音楽が嫌いですか?退屈ですか?難しいですか?
 音楽なんかなくったて人生はすると考えますか?
 もしあなたはそう思っているなら、あなたはこの番組を見る資格があります。」と。

30数年前の中学生時代 ラジオ関東(今のラジオ日本)の「ブルー・サンズ」で始まる番組
「ミッドナイト・ジャズ」で語るモンティー本多(今のジャズ評論家本多俊夫氏)からの影響が
今も受けており このホームページもその産物と感謝いたしております。

そんな生活の潤滑油である音楽は 季節により情景により感情により人に聞こえ方が変わってくる。
そんな音楽の最高に聞ける頃を 自分なりの季節感で より気分を高めてている。
その人・その人によりちがっており 100人いれば100通りの答えのあるアナログの世界。
これは 私個人の枕草子の文章を借りた音楽感です。

一応 ○○大学付属高校の古文の先生より 添削を受けた文章ではありますが
語句や文の作りの間違いは ご了承願いたい。


 春は あけぼの。

やうやう眠くなりゆく朝がたは 少しあかりてカーテンもがなと思ふは、君もわれもおなじ。
もどろみつつ聴くピアノ曲こそ いとをかしけれ。 いまださめぜる頭を 心地よきピアノのリズム 春風のごとく駆け抜く。

 夏は 夜。

月のころはさらなり、闇もなほ。風無き時ぞ いとどうれしき。
籐椅子に 身体をうめつつ聴く音楽ほど をかしきはなし。
ことに JAZZなど 降るほど聴くに 気怠さとかわりて いとをかし。

 秋は 夕暮れ。

夕陽のさして炎え上がる並木通りを 急ぎあるくはあはれなり。
コートのえりを たてれば なほかなし。
ふと思い出す音色は アルゼンチンタンゴ。
物悲しきメロディー ときに激しく ときに優しく耳をくすぐるリズムこそをかしけれ。

 冬は つとめて。

雪の降りたるはいふべきにあらず、まわりのいと白きもまたさらでも すべてよし。
いと荒れたる吹雪に 車など飛ばし急ぎこそ いとおそろしけれ。
かの時のディオダートの音楽ほど 自然に 挑戦者のごとき心地にするはなし。

 むつき、やよい、しもつき、しはす、すべてをりにつけつつ、一年ながらをかし。
         

 正月一日は まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞みこめたるに、
世にありとある人は、みな姿かたち心ことにつくろひ 親しく語らひて、
かたみに祝ひなどしたるさまも、をかし。
聴くべきものは 師走にえ聴かざりし交響曲第九「合唱」。
冷めし紅茶のごとく 舌にヒリヒリとくる苦み 昨日までとはたえて同じからぬ周りの気配に
あやしく溶けゆくまたいとをかし。

 きさらぎは、ソニー・スティット。
外の厳しき気色とはことなり、暖かき部屋の中で聴く彼の品行方正なるアルトサックスと
オスカー・ピーターソンの陽気なる はなやぎたるピアノとの組み合わせ いとおかし。
きたるべき春のあたたかさを待ちわびる心、にじみいづる、その喜びを音楽よりききとりたし。

 やよひ、うらうらとのどやかに照りわたれる桃の花の いま咲きそむる頃
春の気怠さと光の中で聴くピアノ。
軽やかなJAZZ CLASICなりせば さらによし。
いづくにてききしと思はるる懐かしさ 春風のごとくに流れたり。
軽きドラムのリズム、鍵盤のもどりすら覚ゆるピアノ オイゲン・キケロ、おもしろし。

       

 うずき 木々の葉、まだいと繁うはあらで、わかやかに青みわたるに
霞も雲もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかし。
かかる時ぞ バド・パウエルのピアノなる。
重きにすぎず・軽きによらず 暗きによらず・明るきにすぎず
しかも 刃物のごとく心切り裂く音色 いとうれし。
ことに時、雨を帯びたるはさらなり。
「男と女」の雨の中 ワイパー せわしく動く時 流るるルルーシュの曲は 情緒さへ感ず。

 さつきは 山の木の葉 いと繁く、深く青みわたるさまは カリブの空のごとし。
高く澄みわたるライオネル・ハンプトンのヴァイブ、つきづきし。
「フライング・ホーム」は こと殊なり。夏に暑すぎるに かわきたる音色がよし。

 みなつきは カーリー・サイモン。
澄んだ声は すがしき初夏の風のごとし。

         

 ふみつきは ハービマンのフルート。
陽の落ちたる直後の無風の気怠さの中 虚ろな意識で聞こゆるかのくりかえし。
あたかも ボレロのリズムかのごとく「カミン・ホーム・ベビー」が、夜の静寂に導く。
さながら 眠りに吸い込まるるさま なにごこちかせむ。

 はずきの夜は コールマン・ホーキンスのテナーサックスが似合ふ。
古き男性的なスタイルがよし。
肩もこらず やうやく高揚する演奏に 夏の暑さもわすれつ。
かやうなるジャズが、夏の夜には いとつきづきし。

 ながつき こはすべてよし。
夏の草いきれの残る初秋 バンドネオンの刻むリズム アルゼンチン・タンゴ。
汗と草の匂ふタンゴの中にも なまめかしきフランシスコ・カナロは 今めかし。
優なる気配に 秘めたる激しさ あわれなり。
パコ・デ・ルシアもよし。かくも 衝動的な演奏や ありし。
フラメンコとやいはん、フュージョンとやいはん、その熱き想い 目の前にゆらゆらと炎ゆるを見る。

          

 かんなづきは、過ぎ去りし夏のへの郷愁か、NSP 懐かしく聴かまほし。
過ぎし日の青春か ふるさとへの郷愁か 夕暮れならば さらによし。

 しもつき 秋ながらよし。
ジョーベヌティーのジャズバイオリン すすりなくボヘミヤンの悲しみを
三本の弦に託すかの表現力 我を引き込む。
MJQのヴァイブの音も あわれなり。
かくも 十代には いとひし音色なりしに、今は愛しく思ふは 年の積もりたるにや。

 しはす、あらたなる新雪の降りつもりたるに青空の朝・吹雪の日 いづれも ディオダートに限る。
彼のシンセサイザーの音を聴きつつ 車を走らす、あたかも 自然を征服する心地なり。

 春夏秋冬 折ふしのつきづきしかる音楽を聴く喜びは 無上の風雅なり。


  


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