TOPSY TIMES 148号/145/142号より

1  ところ変われば こんなにも違うの?

 春を告げる魚として 山形では「ニシン」が上がられる。
かつて 北海道では ニシン御殿が建てられたいう程 春になるとニシンが 北洋から 回遊してきて 大量の漁獲があった。

雪に閉ざされていた東北地方も 春の到来とともに 交通の便も良くなり
それまでの 塩魚中心から 新鮮な魚が食卓にのるようになる。
その代表として 季節のニシンが 春告魚として呼ばれるようになったのではなかろうか?
そんな土地であるから 山形県北部 最上地方では 特に「かど焼き大会」と称するお祭りさえある。(カド=ニシンの別名)

最上地方は 奥羽山脈と出羽丘陵に囲まれ 江戸時代から246年もの長い間
戸沢藩が統治した地域である。
また 山形の母なる川「最上川」が地域の生活や文化に深くかかわっている。

東西南北 山に囲まれ 雪深い最上地方も 春とともに最上川の水運も活発となり、
日本海からの新鮮な魚も入りはじめ 大量に出回るニシンも 箱単位で購入され
焼いたり・干物にしたり 身欠ニシンにされたりしたという。

そんなニシンを桜の咲く青空のもとで
豪快に焼いて食べるのが 「カド焼き大会」である。
(ただし 歴史的な背景は想像であり 事実とは違うかも知れません。)

だから 最上地方だけでなく 山形では日常的にニシンを食しているから 当たり前の魚であり どこでも売っている魚である。
だから 誰でも知っていて 誰でもが食べた事がある魚と思っていた。
ましてや ソーラン節にさえ出てくるではないか。
これほど 全国区の魚はないのではなかろうかとも。

 ところが ある時 九州の方とE-mailを交換したとき ニシンという名前は知っているが
見たことも食べた事もないという話になり 驚いてしまった。
広島の方に聞いても 同じであった。

福岡では 春になると食べる魚は「あぶってかも」という魚だという。
私は、聞いた事もない魚である。
当然の事ながら 食べた事がない。

でも 歌にまで歌われている魚が 見たことないという事とちょっと違うのではなかろうか?
地方区の魚なんだから・・・
知らないのは当たり前と 自分自身を納得させてしまった。

でも この事は ある意味でカルチャーショックであり 自分(の住んでいる)の基準と他の基準が こんなにも違うものかという見本でもあった。
自分では当然と思う事が 他の人にとって 全く違う事であり 自分だけの価値感だけでは 世の中通らないという事でもあろう。

 また 沖縄と高知の人と話した際にも 同じ様な事を感じた事があった。
それは 台風の話になり 毎年毎年 台風が来て大変でしょうねと話がなった。
でも 沖縄の人からは 意外な言葉が出てきた。
「家の作りが根本的に違うから よその人が思う程 どうって事ないですよ。
逆に 台風で学校や仕事が休みになる場合があるので 喜ぶ人も多いですよ」という楽観的な事でした。
高知の人も「台風がくると 普段見られない大波がくるので 桂浜に台風見物に出かける人も多いですよ」だって。
山形には 台風はほとんど来ないため 台風の情報はテレビの映像などで見る場面しかなく
その映像が 台風という生活を阻害する要因としか考えていないが
現地の人の生活感とは少し違った感覚とあるようだ。

この二つの点から見ても ところ変われば品変わるし
日本という国でも 色々なるものだと感じるこの頃です。
   

藤野 樹海記

2 クイズ これはなんでしょうか?

ちょっと変わったものを見つけました。
さて これはなんでしょう!
コンクリートで出来ています。
上の部分は取り外しが出来ます。
真ん中から 開きます。
答えは このページの最後に書いてあります。
<山本 一義記>


3 知られていないシリーズ第14弾
  ないしょ話

 知らなかった!こんな事が!
誰でも知っている童謡が わが町の人が作ったなんて!

   ないしょ ないしょ
   ないしょの話は あのねのね
   にこにこ にっこり ね 母ちゃん
   お耳へこっそり あのねのね
   坊やのお願い きいてよね

   ないしょ ないしょ
   ないしょのお願い あのねのね
   あしたの日曜 ね 母ちゃん
   ほんとに いいでしょ あのねのね
   坊やのお願い きいてよね

   ないしょ ないしょ
   ないしょの話は あのねのね
   お耳へこっそり ね 母ちゃん
   知っているのは あのねのね
   坊やと母ちゃん 二人だけ

童謡って 誰によって作られたかなんて知られないままに 愛唱されていると思う。
そして「ないしょ話」も そうであろう。

とってもやさしい言葉と繰り返しの魅力。
そして そのしぐさも情景思い浮かぶ。
特に「・・・こっそり ね 母ちゃん」の「ね」と「母ちゃん」の空白が
母と子の親密感を出しているのではないでしょうか?

この歌詞がわが町の若き詩人によって作られていたなんて!

作詞者の「結城よしを」は 我が町で生まれた。
そして 歌人「結城健三」(えにしだ派主宰者)は彼の父親である。

童謡の作詞で思い出すのは 野口雨情や西条八十など有名ではあるが
このないしょ話も その知名度は高い。

そんな優れた作品を残してくれた地元の歌人に敬意を表したい。

ちなみに同級生八人に聞いて この事をしっていたのは 二人だけでした。
この歌碑は 山形県南陽市の熊野大社境内にあります。


藤野 樹海記


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     2の答え

「蒸し釜」と言って 昔の炊飯器です。
中に起こした炭を入れ その上にお米を入れたお釜をのせて ご飯を炊きあげ
炊きあがったら 上の蓋を閉めて 蒸らしあげたそうです。
戦後まで使われていたとの事。