「再生の心」−役行者の教えに学ぶ−

平成12年、修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の一千三百年御遠忌(ご法事)を迎えました。

 役行者は修験道という日本独特の宗教、つまり素朴な山岳信仰と、仏教の教理を取り入れた神仏混合の宗教をお開きになった方であります。
明治の神仏分離以前には、日本宗教界の約七割を占めていたとも言われ、全国各地の名山を修行道場として、人々が生きていくための修行を志した庶民的な宗教でした。

 役行者はもともと庶民出身で、大和国茅原の里(奈良県)にお生まれになり、十六歳にして地元葛城山に、十八歳頃より大峰山(吉野)に修行され、人里離れた山中で、木の実・草の根を食し、大自然界の中で鳥獣を友として、心身を錬磨し、仏教を学び、優れた霊力(超能力)をもって、里に下りては人々を救済し、「行者様」と仰がれたお方であります。後に光格天皇より、「神変大菩薩」(じんべんだいぼさつ)の称号を賜り、修験道の開祖「役行者神変大菩薩」として、多くの行者が修験道の教団を結成し、大峰山・葛城山・彦山・白山・御嶽山・八海山・富士山・日光山・安達太良山・吾妻山・飯豊山・蔵王山・出羽三山などの全国各地の名山が修行道場として開かれ、山にこもり、あるいは斗数(とそう)修行、山中を歩き回る修行に、僧侶も庶民も区別無く、日常生活のかたわらに修行に励む行者が後を断たなかったようです。これらの行者のことを山伏や先達と呼ばれ、修験道が在家仏教と呼ばれるのもそのためで、行者の大半が一般の庶民だったのです。

なぜ多くの庶民がこの修験の道を求めて修行に励んだのか、修験道の心に若干触れておきます。

 山伏の修行となると、まず深山幽谷の山々が道場に選ばれます。これは、大自然界の木々や谷川の流れ、岩石、鳥獣など全てが曼陀羅の世界(仏の世界)と観じ、山に入ることを意味します。仏教、特に密教では、お釈迦様や観音様、お薬師様など多くの仏様は、人々を救うためにこの世に仮に現れたもので、これらの仏様の元の姿を「大日如来」にたとえております。この大日如来は、大自然界を生み出している大宇宙の全てを示し、宇宙を構成する「地・水・火・風・空」の五大要素そのものが大日如来を表しているのです。同時に自然界の全てを生んだ慈悲深い母親の代表的な姿でもあり、その裏面は厳しいお不動様でもあります。

 山に入る事とは、すなわち仏の世界に入る事、つまり大日如来そのものの、母親の胎内に入る姿を意味しているのであります。そして山から下りてくる時は、母の胎内から再び生まれてくる事を意味しており、修験道ではこれを「再生」、再び心が生まれ変わることを示しているのです。

 山に入って重い荷を背にする時は畜生の世界、空腹に飢える時は餓鬼の世界、山頂にたどり着いた時のすがすがしい気持は浄土の世界と、実践の中に仏の教えを体得し、また、峰中における座禅では、我が身と大自然界との一体感を観想して、我が身即ち仏である(即身成仏)と観ずるのであります。

 人間が母親から生まれた時は、何の邪念もなく、仏様そのものの清らかな心なのに、年月が経過する中に、何か欲しい・何をしたい、と諸々の欲望が生じ、邪心に変わり、いつのまにか仏心が心の奥底に隠れてしまいます。だからこそ、欲求不満やストレス・怒りやねたみが先に立って、煩悩の妨げが生じます。

 何回も何回も山に入って修行するという事は、何度も母親の胎内に戻って、仏心そのものの生まれ変わりとなって、再び清らかな心で、すがすがしくこの世を生きる事を意味するのであります。

 この再生の心こそ、現代の私達には必要であり、豊かな心は大自然界によって育まれている事を忘れてはなりません。大自然界に勝るものはなく、移り変わる自然界の摂理と共に、私達人間もまた刻々と移り変わっており、人間の盛衰も刻々と変化しております。

 自然の流れに沿って、決して逆らわず、大自然界の中で私達人間の営みもまた、多くの人々に支えられ、自分を取り巻く全ての環境の中で、今生かされているのです。自然界や多くの人々に感謝の念を堅持しながら、それぞれの人生の営みに精一杯の修行を念願するものです。