私とモンテディオ 



中学ではサッカー部は無く、その上高校・短大と女子だけ。
およそサッカーとは
縁遠い生活をしていたにもかかわらず、
すでに片鱗はあったのである。
始まりは高校生の頃だった。
仲のいい友人の影響も多分にあったが
自分にはもしかしたら、
陽気なラテン系の血が脈々と流れているのではないかと

思う今日この頃なのである。


 当時一緒に電車通学していた友人は無類の
サッカー好きだった。
しかも、高校サッカー。(ちなみに彼女は
当時とても強かった浦和南の熱狂的な
ファンだった。
修学旅行の新幹線の中ではなにしろ、埼玉に近づくだけでも
興奮していた事を
とても鮮明に思い出す。
これは、私が中学の修学旅行で北海道へ足を踏み入れた時、
千春のいる北海道だ〜と興奮したのと同じノリだと思う。)

その当時は当然Jリーグなどは無くTVでサッカーが
中継されるとなると、♪うつむくなよ振り向くなよ〜君は美しい♪の
全国高校サッカー選手権ぐらいなものだったのである。
これは、プロ野球のホームタウンを持たない東北や北海道の人が
TV中継は巨人戦しかなく、否応無しに
ジャイアンツファンに
なってしまうという図式に似ているような気がする(笑)
(中にはそうでない人もいるが私は、その図式に
まんまとはまってしまった一人である)

     ともあれ、その友人の影響もあってか高校サッカーは
欠かさず見ていたものであった。
まして、冬場に芝の上で
サッカーをするなど考えも出来ない土地柄の為か、ある種羨望の
眼差しで見ていたのも事実である。


時は流れて何年経ったか・・・
Jリーグが華々しく開幕したが、やはりここでも
ホームを持たない
北海道・東北の人間は、なんとなく疎外感を味わう事になる。
そのくせ妙に郷土意識だけは強く、地元に
チームがあったらといつも思っていた。



そしてその時はついにやって来た。
地元山形からプロチームが誕生したのである。
道程は決して楽ではなく、1984年にNEC山形の
社内同好会からの発足。1990年の東北リーグ昇格後
4連覇するが、全国地域リーグ決勝大会では苦杯をなめてきた。
しかし、ついに1994年JFLへの昇格を果たす。


しかし、その時私はというと・・
関連企業に勤務していた為応援依頼を受け、なんとはなしに
義理で応援に行っていた程度だった。実際運営スタッフはNEC山形の社員だったし

チケットのもぎりをやったり、案内したりしているのは顔見知りが多かった。

その頃、私は辞令を受け出向を命じられる事に
なったが、その出向先の会社は面白いほどサッカーファンが
多く、昼休みにもビデオを見ていたり見る雑誌はサッカー雑誌
だったりした。そこで、私のサッカー熱は再び目覚め
さらに拍車がかかった事は言うまでもない

1996年からはチーム名を「モンテディオ山形」
改称し地域密着型のチームを目指した。

そして私はというと・・・
いつしか選手のひたむきなプレーに心を奪われ
気がつけば、ホームの試合は全部見に行き近県のアウエー戦
までも足を運ぶほどの熱狂的サポとなっていた。。。


ここで、はたと気がつく。実弟はすでに
「クラージュ」というサポーターズクラブで熱狂的なサポーターとして太鼓を叩いていた。
どうやら、ラテン系の血は本物だったらしい(笑)

彼は寸暇を惜しみHPを作成する傍ら、自分の余暇はほとんどモンテディオ山形に
捧げていると言っても過言ではない。事実、仕事が休みの
アウエー戦はかなりの割合で駆けつけている。
何が彼をそこまで駆り立てるか・・・
それは、私達姉弟に流れている筋金入りのラテン系の血に違いない(笑)
こうして私のサッカー熱は加速度をつけて進んでいくのであった。



さて、加速度のついたサッカー熱は
いよいよとどまるところを知らなくなった。
なかでも一番試合を見に行ったのが1997年だろう。
30節あるゲームのうち、ホームゲームは半分の15試合。
平日のナイトゲームもかなりあったが、仕事を定時間内で
片づけもしくはフレックス退社して(^^;)子どもを迎えに行き、
競技場へと向う。アウエー戦も車で行ける範囲の
福島や宮城・新潟などはせっせと駆けつけた。

その年はアウエー2試合を含む17試合を完全制覇して、
ご満悦だった。道々考える事は、チームの状態や相手チームのこと
などなど。ドライブもかねて、親子のコミュニケーションの場としても活躍していた。

(ここで、余談ではあるが、主人は会社からの要請とはいえモンテディオ山形の
JFL昇格試合を見ている今となっては貴重な人物である。)

我がモンテディオ山形は、JFLに昇格してからというもの
年々順位をあげ、13位・10位・8位・5位・3位と順調に成長
しているのである。その年だけ成績がよかったり次の年にガクッと順位を
下げるような変動のある成績ではない。まったくもって、県民性が如実に
現れている、まさに県民を代表するようなチームなのである。(笑)

事実、チームの中には県出身の選手が
たくさんいるがどの選手もみんな揃ってシャイである。
一人としてでしゃばるようなタイプはいなく、
黙々と努力をしている姿がまた山形県民らしいと思えるのである。
(ただし、欲をいうならもう少し自分をアピールしてもいいのでは?)
そういう意味でも、いきなりJ1に昇格してしまうよりはじっくり実力をつけて、
J1でも充分通用する力がついたら昇格して欲しい、
一時の勢いでJ1入りして欲しくないと
切に思うのである。


(1999年5月記)