FOREVER 
〜君を忘れない〜
 千春と共に生きた日々 
 






彼との出会いは、千春の野外コンサートだった。
その年、千春が米沢と酒田に来てくれた。
私は中学時代からの千春ファンの親友と出かけたのだが
その時、千春が私達の住む町名をステージで言って くれたことから
「きゃあきゃあ」と騒いでいた。 (私達も相当若かったから)
近くに居たらしい彼は、私達2人を覚えていて それから数日後の
酒田での野外コンサートで 私達に話し掛けてきてくれた。

野外コンサート、席の指定はなかったためひたすら 並ばなくてはいけなかった。
何時間も炎天下の中、並び続けている間にいろいろ 話がはずみ
彼が当時大学生で就職が内定していることが わかった。
奇遇なことに、その内定先は私が勤務する会社の親会社だった。
それからも、モンテディオがJFL時代から試合会場で偶然に会ったり
きっとそういう縁があったのだろう。

その年、彼はあちこちに千春を追っかけた。
私はもう結婚していたので、遠征は出来なかったが
秋に新庄に来たときも、3人で出かけた。
そうやって、千春のコンサートが山形・福島・仙台など で行われると
どちらからともなく必ず連絡を取り合っていた。

彼の病気のことは、一度目の入院の時は詳しく 知らなかったが
なにかの話題から少しだけ 聞いていた。
でも、あっけらかんと話す口ぶりから、それほど
深刻なものだとは 思ってもいなかったし、彼も多くは語らなかった。

いつもコンサート会場には、必ず居て当たり前だと 思っていた。
彼は本当に心から千春を好きだった。
もう時効だと思うから書くけど・・病院に内緒で
外泊許可を取ってまで、コンサートに 出かけていた。
きっと、今にして思うと千春から
メッセージとパワーを分けてもらいに行っていたのだと。。

数年前、確か会場は名取だったと思う。
彼はずっと交際している彼女と、最前列のラッキー席。
しかも、最後には恒例のタオルと薔薇の花を プレゼントされた。
足繁くコンサートに通って、千春に覚えてもらえたのだろう。
私はいつもの親友と何列か後ろでその光景を見ていて
きっと千春からのご褒美だと思っていた。

毎年千春が懇意にしている熊本のホテルで ディナーショーが開催される。
これはアンオフィシャルで、あまり公表されては いないので
熱心なファンしか知らないのだが 一昨年だったか
たまたま、千春のメル友さんから 一枚キャンセルが出てしまい
どうせ譲るなら 親しい方に譲りたいとの申し出があった。
私は環境的に熊本に行くのは 不可能だったので
真っ先に頭に浮かんだ 彼に勧めた。
彼はさほど迷うことなく「行く」と。
ディナーショーを心ゆくまで堪能してきてくれて、とても良かったことや
熊本空港で千春と 遭遇して写真撮ったことなどを
嬉しそうに メールで報告してくれた。

去年の夏、ちょっと辛そうなメールが届いたのが 最後だった。
秋に再入院することも聞いて いたので、もう東京の病院なのだろうと。。
いつも気になって心配していたけれど 私も会社を辞めていたこともあって
詳しい こともわからずじまいで
そんなに深刻な状態に なっているとは想像もしなかった。

ごめんね。
せめてもう少しやってあげられることがあったのでは ないだろうかと
今更ながら悔やんでみたりする。

私はずっと忘れないよ。
コンサートが始まる前の緊張の一瞬に
ナイスなタイミングで 「ちはる〜〜」って叫ぶあなたのこと。
あの夏、野外の最前で同じ感動を味わったこと。
アンコールの時、一緒に「baby」って 叫んだこと。。。
いっぱいいっぱい思い出あるよね。
千春を見つめるあなたはほんとうに幸せそうだったね。

今日の告別式では、あなたの大好きな千春の
「大空と大地の中で」でお迎えしてくれたね。
エンドレスで会場に流れる曲を聴きながら、ずっと思い出していたよ。
そして、合間には「君を忘れない」も流してくれたよ。
ご家族の精一杯の思いだったんでしょう。
私はあの曲の意味をよく理解できた一人だったと思うよ。

メールアドレスも、携帯のナンバーも しばらくはそのままにしておくね。
今年の千春のツアーには、きっとあなたの 思いも連れていくからね。
今は安らかに眠ってください。
何十年か後になるかどうかわからないけど
私もいつかいくから、そしたらお茶でも 飲みながら
千春談義でもしようね。 それまで、どうか安らかに。


2002年2月4日  記