エピソード1 主人の入院 

今回我が家の主人が入院した。主人は8年ぐらい前にも大学病院に、半年ほど入院した経歴があり、
その頃から
病院とは全く無縁の健康人が、年に一回ぐらいは病院とのお付き合いが恒例行事の人と
なってしまいました。いまでも、どこからどう見ても病人には見えません。
(地黒でそのうえゴルフ・野球焼け、もろ健康な人タイプ)


私にとってはその半年間が一番大変だった(片道車で1時間かかり、入院したのが真冬だった為
吹雪の時も、仕事が終ると車を走らせ通った)ので、今回のような入院は
はしか程度にしか
思えませんでした。
(ま、結果良好で大事にいたらなかったから、こんなことが言えるのかも
しれないんだけどね)


そんなことから、エピソードなどを拾って書いてみようと思ったわけなのです。
病院って、人間ウオッチングにはかなり絶好の場所だと今回つくづく思った次第です(笑)


 エピソード2 避難訓練

午前中病院に行っていた主人から突然TEL。「すぐに手術になったんで来てくれ」
「は?」  訳もわからぬまま病院へ行くとすぐにドクターからオペの説明があった。
それからほどなくして、すぐにオペ室へと連れて行かれあっという間の出来事だった。

どのぐらいかかるのか、はっきりしたことがわからなかったため、長くなったら体力勝負だなと
思った私は、即座に一階の売店に降りていきとりあえず、パンとウーロン茶を購入。

待合室でまずは食事。食事しながらも、周りの様子が気になる。数人の60〜70代ぐらいの
男性が、なにやら井戸端会議。世間話や、天気のことなどを話している。

私はとにかく退屈だった。まったくもって不謹慎かもしれないが「退屈」だったのである。
さほど、重病でないせいもあるのだろうが何をしてこの時間をつぶそうかということばかりが
 頭をよぎるのである。文庫本は常にバッグに入れておくべきだ そう感じた日だった。

話す相手もいないため、時間の経つのが途方もなく長い。何度も時計を見てしまう。
途中で、親戚の外科のナースに呼ばれ売店に行って、腹帯とT字帯を買ってくるよう指示される。
どんなんだっけ〜?と考えながら購入して「ん?」と気がつく。
「あれ?財布にお金あったかなぁ〜?」何も考えずに、すぐにバッグひとつで出かけたので
財布の中身を確認するまでの余裕はなかったようだ。

あせって主人から預かっていたバッグをゴソゴソ。お財布をのぞくと、福沢さんがいた。
「よかった〜。。。」と思いながら、8000いくらを支払う。

ナースに聞いても経過はわからないとのこと。仕方がないので、また待合室でぼ〜っと待つ。
どれくらい時間が経ったのだろう。。

待っている間に何度か一斉放送があったのだが、驚いたのが「本日3時より、避難訓練が
実施されます」の放送だった。「ん?ん?ん?」「ベルが鳴っている間は、エレベーターや電気は
少しの間とまりますのでご理解ください」と放送。

「おいおい、オペ中だぞ〜(^^;)」ま、そんな非常事態に電源落とすわけはないだろうと思いつつも、
こんな状態だって何も知らずに麻酔で眠っている主人に、起きたら一番最初に
笑わせてやろうと考えていた。

この避難訓練のおかげで、あとは退屈しないで待つことが出来た。
会社では毎年、避難訓練をやっていたのだが逃げる立場だったから、客観的に見ることは
あまりなかった。それゆえ、今回の病院での避難訓練の遭遇は貴重かもしれない。

なにしろ、非常ベルがうるさい。でも、私が思っている「ジリジリジリ〜〜〜」っていう
非常ベルの音とはまったく異なっていてとても近代的だった。数年前に出来たばかりの病院なので、
こういう設備も近代的なんだろうと思いながらも「ファンファンファンファン」という耳慣れない音と
エレベータ前にある非常ランプの点滅が眩しくて仕方なかった。
まるで、閃光というかカメラのフラッシュをバシバシたいたような、そんな光なのである。
私は古典的な人間になってしまったか、どうも非常ベルは赤い方が緊迫感があるような気がした。
避難訓練と言っても、患者が逃げるわけではないのであっという間に終了した。
そして、やっとオペも終了する。

執刀医に呼ばれ、再び説明を受ける。内臓の絵が書いてあるものを指差され、ここがこうで
こうなので結局こうでした。まあ問題なく終了したとのこと。
ここでドクターがのたまった。「取ったものご覧になりますか?」「?」の後にすぐに
「それはかなりグロテスクなものですか?」と、私。「そうですねえ、あまり見られるものではないかと・・」
とドクター。見せてもらおうかと一瞬思ったが、さすがに「結構です」と私。

そこで、なぜこんなふうになったのかとか食事との因果関係とか、気になっていたことを
矢継ぎ早にドクターに質問をして、怪訝そうな顔をされた(^^;)いや、ここでひるんではいけない。
今やインフォームド・コンセントは当たり前の時代になってきているんだから、せめて疑問点
ぐらいは取り除いておかないと、とすぐ開き直る。ドクターは、丁寧に答えてくれた。とりあえずは、
突発的なもので何かとの因果関係があるわけではないということを聞きまず一安心する。

どうして、こういう時に冷静でいられるのか自分でも時々不思議に思うことがあるが、こういう時は
妙に落ちついてしまうのが私らしい。慌てふためく主人の母を尻目に「手術終ったら連絡しますから、
落ちついて待ってて」と言い残し家を出てきてしまうようなヤツなのだ。
こういう時に、おろおろして涙のひとつもこぼせば、可愛い女性なんだろうなぁ。。

とにもかくにも、オペは無事終了したのであとはもう付き添うだけだった。以外に軽度だったため、
泊まり込みも必要ないと言われたので、家と病院の5往復ほどで初日は終了した。病院が近くてよかった。

人間の回復力は恐るべきものであった。二日目には、もうかなり元気になっていた。
「スイカが食べたい。桃が食べたい」と病人とは思えないような言葉を次々発する。
きちんと、ドクターに確認してからでないとまだダメだとたしなめる。

ちなみに、昨日のことを話してみたが昨夜の、私が付き添っていろいろやってあげたことなどは、
麻酔のせいにしてちっとも覚えていなかった(ぷんぷん)いいよ、いいよ〜。そのうち100倍ぐらい
にしてお返ししてもらうからぁ!!

切ってしまえば、あとは回復力のみで驚くほどの治癒力を発揮しあっという間の退院となった。
めでたし、めでたし。

ご心配いただいた皆様ほんとうにありがとうございました。m(_)m


 エピソード3 町立病院というところ

それにしても、町立の総合病院に行ってしまったばっかりにやたらと知り合いが多い。
まず、病院に入ってすぐに方向音痴の私は表示板を見ながらウロウロしていると(病院に縁がない為)
後ろから「大変ね〜」と言う声。振り向くと検査技師をしている同級生の友達だった。
「そうなの〜。ちょっと行ってくるね」

ということで外科病棟に向い、病室に行くとオペの執刀医が子供の同級生のパパだった。
「いつもお世話になっております」「どうも」と、実に事務的な会話。

オペ室に入る前に家にTELしようと、公衆電話で電話していると背後から声が。
「なんか買ってくるものな〜い?」
受付事務をしている中学からの親友だった。
「大丈夫。家も近いしすぐに行ってこれるから。ありがとう」

ということで、とりあえず病棟へ戻ると「Mちゃん、急だったね〜」「ん?」と振り向くと
外科のナースの一人が親戚だった。


オペ室に入ったのを見届けてから、食事をしていない事に気がつき売店に買い物に行くと、廊下で
 「なに、手術だって?」これまた受付事務をしている同級生だった。 
「そうなの。今、入ったばっかりで〜」「お大事に」

待合室で待っていると、元会社の人が「どうしたの?」「Aさんこそどうしたの?」「突然、手術になって〜」
「そりゃ大変だ。まずお大事に」
彼は若いのに糖尿で入院していた。

もう、ちょっと廊下を歩くだけでこれなのだ。必ず知り合いに会うので、事情説明に時間がかかって
仕方がなかった(^^;)

そんなに長くかからない入院だとわかったので隠しておこうと思ったのに、これだけぞろぞろ知人に会えば、
あっという間に広まるのも
時間の問題だった。

そうそう、二日目に薬の説明にきた薬剤師は中学の二つ上の先輩だった。

万事がこんな具合なのだから同じ階に、何人知り合いやその家族が入院しているか見当もつかない。。
なるべく気がつかないフリをして過ごした(^^;)

改めて、病院って切っても切れない場所なのね〜。でも、出来ればお世話にはなりたくないなぁ。